2014年8月17日日曜日

PERMANENT 6号




日々の生活の中で、動物や植物の
「命を頂いて生きている」ということに
どうしても折り合いがつかない自分がいます。

頭ではわかってるつもりだけど、
お肉も魚も切り身になって売られているし
野菜も綺麗に洗って、揃えて売ってあるから
どこで誰がどんなふうにして採ってきた物なのか、
育てた物なのか、わからない。

最近はご近所の方の畑に立たせてもらったり
釣りをしたり、浜で上がった魚を買いに行くようになって
ごく一部ではありますが、自分のからだを作る食べ物が
どういったものなのか知る事ができるようになりつつあります。

活けの魚を締める際、魚の抵抗する
ビクビクッとした動きが手に伝わってくると
なんともいえず申し訳ない気持ちになります。
畑でのびのび育つ野菜を刈り取るときも同じで
心の中で「ごめんなさい、あなたの命をいただきます」と唱えています。
生きている以上、食べ続ける以上
この気持ちからは逃れられない。

仕方ないとか、そういうもんだ...という
ありきたりな言葉で済ませるのではなく
自分自身がしっかりそこに向き合わなければ、子供たちに
<食べ物を粗末にしてはいけない>
<命を大切にしなさい>
なんてことを言えなくて。

鶏を飼って世話をし、糞は堆肥に。
産んだ卵をいただいて
産めなくなったら今度はお肉を。
そんな経験が、日常とともにあれば
命をいただくということを、より体で感じることが出来るんじゃないか?
どこかで自分なりのブレない考えが持てるんじゃないか?
そんな想いが頭をよぎってから
実現できないか模索しています。

祖父祖母の時代には田舎の家庭で普通に見られた
味噌や醤油を作り、庭で鶏を飼ったりするという
長く淘汰されずに受け継がれてきたことを
父や母の世代は、効率や便利さを求めて捨て去ってきた。
戦後の何もない時代を生き抜いてきた人達には
それが豊かさだと写ったのかもしれません。
時代によって価値観は右にも左にも、大きく振れるのだと思います。
でもその両方を見てきた僕らは
その「中庸」を探さないといけない。
それが次の世代に対する僕らの責任だと思います。

コンビニやスーパーで、見栄やエゴの為に毎日<大量に廃棄される食材>
味噌や醤油など、日本人のソウルフードの原料になる大豆、
パンや麺類に使われる小麦の<異常なまでの自給率の低さ>
港にコンテナで運ばれてくる変色して異臭を放つ中国産の塩漬け野菜が
化け学の力と、ザルな法律で京都の有名漬け物なんかになったりするカラクリ...
こんなことが豊かさだとは、僕には到底思えない。
前の世代がどうだったかは関係なく
こんな状況を次の世代に伝えたくはない。

かわいそう、もったいない...そう思う心があれば、
命を無駄にはしなくなる。
足ることを知り、シンプルに暮らせるようになれば
今、<自分たちの体を作る食>をとりまく大きな歪みに
気付くことができるのではないかと思うのです。

鶏を飼っても、もしかしたら答えは出ないかもしれないけど
「食べること」や「生きること」の本質に
一歩近づけるんじゃないか?そんなふうに感じています。

難波邸さんがが紹介して下さった、冊子
PERMANENT 6号を読んで、そんな思いが
確信に変わりつつあります。

やっぱり熱田さんに教えてもらいにいかなきゃな。



http://permanentbros.com/
食事をつくる楽しみ。食べる楽しみ。そして、食べものについて考えるきっかけを。
permanentbros.com

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