ふたばの豆腐。
しっかりと豆の香りと味わいのする昔ながらのお豆腐です。
ここの味が忘れられなくって
三重県の知人ご夫妻にお願いして
年に一度は送っていただいてます。
僕が知らないだけかもしれませんが
近所にちゃんとした豆腐を売ってるとこがありません。
ある豆腐屋さんが言ってました。
消費者が安い物を求めるから、スーパーや大手量販店は
製造元に安い豆腐を求めてくる。
拒否すると扱ってくれなくなる。
豆腐屋は充填、パッキングする機械など
設備投資しないと量産できないから
廃業するか、設備投資分を回収するように薄利多売に走るため
大豆をそれなりのものに変えたり、薄い豆乳で作らざるをえなくなる。
水で薄めるから栄養は減る。
結果、お店に並んでいるものが
全部絹ごしのようななめらかな食感だけで
栄養価の低い、大豆の香りも味もしない
よくわからないものばかりになってしまったのだそうです。
価格は上から下まで幅があっても、品物があつまり
選択の余地のある都会が羨ましい。
素材は田舎のほうが手に入りやすいはずなのに
志ある作り手が生きにくい、今の仕組みを変えていかなければ
本当に消費者の目線に立った良いものが手に出来なくなる。
3年前に田舎に帰ってきたときは、盲目的に
田舎のほうが良いものが沢山あるに違いないと思っていましたが
そうではなかったことに一番驚きました。
生産者の方とつながりでもしない限り
まっとうなものが都会より手に入らない。
フランスでは地方のスーパーに行っても
ビオ(有機加工食品、有機農産物?)の商品のコーナーとかあって
安いものも高い物も消費者が選択できるようにしてあった。
なのに日本のスーパーには大手メーカーの画一的な商品しか並んでいない。
(フランスのそこには確かビオの醤油も置いてあった!本家はどっちだ?)
この違いはなんなんだろう?と愕然としました。
豆腐に限ったことではありませんが
自分たちが日々の生活の中で
“何を選択するか”ということが
めぐりめぐって帰ってきて
自分たちの生活の質に反映するのだと思います。
安さばかりをを求めた結果、
栄養価のない希薄なものを口にすることになる。
「みんながスーパーの豆腐買ってるけど
俺はこのおっちゃんの作る豆腐が好きなんだ!」とか、
「私はここのお兄ちゃんが焼いてるバゲットが一番だわ!」とか
田舎のおっちゃんおばちゃんたちから
そんな会話が聞こえるようになれば
作り手も支えられ、潤い、地域が育っていくんじゃないかと思います。
「メディアに出てた」とか「有名な誰かがいいと言ってる」とか
大手メーカーの提供するものを無条件に受け入れたりしないで
自分で学び、考え、何より『感じる』ことが大切だと思うんです。
ブルースリーも言ってました「Don't think.Feel」って。
休日になると老若男女がイオンに集結している田舎の現状を見ると
先のことがとても不安になってしまいます。
おいしい豆腐をいただいて、そんなことを思いました。
昔みたいに、おからもバケツで貰いにいける
豆腐屋さんが、近所に出来たらいいのになぁ...。